
数年前に住宅を設計施工した時の話。予算も平面もほぼ決まった段階になって、奥様から「トイレを広くできませんか?」との要望がでる。当然可能だが、予算が増えるか、トイレ以外の面積が減る事になります。と回答する。広くしたい理由を尋ねると、「なんか広い方が良いかと思って」と返事がくる。トイレを広くするかどうかの議論ではなく、なぜ広くしたいと思ったか、について深堀りする必要があった。
彼女の過去について質問をする。兄弟はいたか→居る。子供部屋は個室で与えられていたか→与えられていた。部屋に鍵はついていたか→ついてなかった。鍵が欲しかったか→欲しかった。あ、そうだ。部屋の鍵が無いから、同居の家族の誰かがドアをいつ開けるか分からないので落ち着けないから、本当に一人になりたい時はトイレに籠っていた。トイレでだけ、落ち着いて過ごす事ができた。と彼女は思い出した。
大切なのは、家の中での自分の居場所がトイレだったから、自分達の家を新築する時に「トイレを広くしたい」と口に出たその理由の理解を本人だけでなくて施主家族が共有する事だ。要望の通りにトイレを広くしたいという要望を叶える事ではない。家の中で落ち着く場所の象徴がトイレだったから、無意識にトイレを広げたいと口に出た事になる。過去に戻って、原因が見つかれば必要なのはトイレを広げる事ではないと分かる。施主に、「この家の玄関の鍵が、いつかのトイレの鍵の代わりになりますよ」と伝えて打ち合わせは終わり、トイレを広くしないまま現場は進み、竣工した。
数年経って、施主と食事をする機会に恵まれた。現在の様子を聞くと、トイレの鍵をかけて籠っていた彼女は、今の家ではトイレの鍵をわざと掛けずに小さい子供とドアの開け閉めをしてふざけあう一面がみられるとの事。なんて素敵。
師曰はく、「家つくりは人つくり」。おしゃれな家を作る建築家は私の他にも沢山いるし、施主の気持ちに寄り添って、意見を尊重した建築をする人だって、私以外に大勢いるだろう。でも今日、この話が聞けた事がとても嬉しい。施主がその話を私にしてくれたという事実が、施主夫婦が家づくりを通して共通理解を深めた証拠だ。建築を通して、その家で住む家族の人生をほんの少しだけ豊かにできたらいい。
思い出話が長くなった。この日はほんの少し、施主の生活を豊かにすることに繋がると信じて、物販分室の仕入れをする日。目的地は京都。仕入れをしながら目的地に向かう。25日の営業再開に向けて、準備を進めている。
夜は京都の古物の先輩と呑む。春巻き、から揚げ、レバーパテ、焼きそば。ハーブを加えて少し豊かなジントニック。安くて美味しい。京都の夜。
ってのが先日の飼い主の独り言。ワン。

