2026年7月28日 花火会場と自己嫌悪

外壁改修工事の現場へ向かう。前日の作業員と施主のやり取りで意思疎通に問題があったと判断したので、直接施主と話してズレを修正する。日本語は難しくて、少しのニュアンスの違いが誤解を生んでしまう。言語化の能力を職人に求めるのも過剰かと思う自分がいる。職人がコミュニケーションも言語化にも長けてしまったら、我々の存在意義にも関わってくる。

ひょんな事から、若者の活動の一部を応援をする事になった。自分にも若者の時があった。誰かに応援されて、支えられて今の自分があるので、応援しないという選択肢はなかなか取れない。

YouTubeで言語化についての動画を見る。成長するには「自己嫌悪」「自己否定」「自己研鑽」が3つの神器で、その3つの神器は言葉が性格になるほど強い。という内容。自己顕示と同様の自己嫌悪があるのが適切で、言葉を獲得すると自然と自己検証ができるらしい。自分には無かった視点で、勉強になる。本はそれなりに読んできたし、今でも読んでいる。自己嫌悪は散々してきた。あとは自己否定と自己研鑽か。武器としての言葉は獲得しているだろうか、はたして。

花火大会の会場近くを通過する。コロナ以降、なんだか市民と花火に距離ができたように感じている。友達とバスに乗って会場近くに向かい、花火なんてほぼ見ずに食べて飲んで話し込んで、帰り道は歩いて帰った思い出が自分にはあるが、今では区切られ、規制され、制限されている。続く事に価値はあるし、事情もあるだろう。主催者の苦労を思うとやりきれない。色んな事が許されなくなっていく。文句を言う意図はない。

帰宅し、仕事は早めに終了。家族と過ごす。何をするわけでもない。家の中で各々好きな事をしている。たまに子供のお尻を触ってちょっかいを掛けて、叩かれ、蹴られる。反撃がくると分かっていてちょっかいをかける自分が嫌になる。自己嫌悪はもう十分してきたというのに。

ってのが先日の飼い主の独り言。ワン。

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