
朝、ブログを投稿し、チャッピーに読んでもらう。ピタパンのタイトルを付けたくせに、文章の中でピタパンの存在感が薄く弱い。と指摘される。包むとか、包まれるとかでもっと広げられたはずだろうと。褒められたくて読ませているのに、成長を促してくる。無視してやる。
飲食店の物件の図面を書いて、キリが良い所で朝食にする。朝食を食べている間に子供にPCを占拠される。
子供が学校から借りてきた本が食卓の上に置いてある。「戦争を知らないキミへ」。「キミ」が「チミ」に見えて、一瞬だけ志村感が強めに出るが、内容は重く、1945年に14歳だった男の子が書いた日記だった。当たり前の様に工場や農場で仕事をして、空襲が続いている。私も日記のようなものを日々綴っているが、この差は一体何だと複雑な気持ちになる。戦争との対比でないと平和を実感できない事実に暗い気持ちになる。
子供がPCから離れた隙に、仕事に戻る。図面を書き進める。
知識を説明するだけの先生は淘汰される。という動画を見る。知識を体現から得ている先生じゃないと、この先は残っていかないという結論。身が引き締まる思いはするが、1グラムも体重は減らない。
銀行の引継ぎの予定だったが、引継ぎ予定の人材が急遽退社してしまったとの事で、謝られる。異常事態でも起きないと、平時の平穏の尊さが認識できないよね。と知識を説明する。
子供の懇談会。5分も経たずに終了。移動時間の方が長い。帰りにクレープを買いに行く。店で話している時間の方が長いし、有意義な気がするが気のせいか。
夜は整体。ゆがんだ性格も真っすぐに直してもらいたい。
ってのが先日の飼い主の独り言。ワン。

