
天気は雨。気温は20度。長袖が着られて嬉しい。「着れて」ではなく「着られて」が正しいと思うが、「ら」抜き言葉も既に市民権を得ている感がある。会話をする時は「ら」をなるべく抜かないように気を付けているが、おそらく2回に1回は「ら」抜き言葉を使ってしまっている気がする。気づいた時は恥ずかしくなる。朝食は納豆と味噌汁。
仕事で名古屋へ行ったついでに眼鏡を作りに気になっていた眼鏡屋へ向かう。これから日差しも強くなるので、運転中に使うサングラスも欲しいと思って相談したら、今は光量に反応して発色するレンズがあるらしい。面倒くさがりの私にピッタリ。眼鏡のフレームを選ぶ。本当はおしゃれな黒縁の丸眼鏡を掛けたいし、チャップリンみたいなのにも憧れるが、自分が好きな形は自分の顔に似合わない。好きな物が似合わないなんて、なんて不幸と思ったが、世の中はだいたいそんなもんかと思い直す。
似合う物を好きになればいい。と気持ちを切り替えて、フレームを選ぶ。何かを決断する時は、なるべく時間を掛けずに即決するようにしている。決めたらもう悩まない。ご飯屋でも、服屋でも、旅行先でも同じ。せっかちだなと思う時もあるが、性格だから仕方ない。ちなみに他人が悩んで時間をかけて検討する事に関しては何にも思わない。
というわけでフレームも時間を掛けずに決まった。レンズの色も決める。店主と雑談。なぜ眼鏡屋という職業を選んだのかを質問する。職業選択の理由も人それぞれで面白い。大した理由で無い事が多い。たまたま、とか偶然、とかいう言葉が枕に付く。行動しているから、偶然やたまたまが産まれる。やっぱり行動しないと何も産まれない。いい眼鏡屋さんだった。楽しかった。
次の予定の合間に森博嗣のエッセイを読み進める。「インプットは楽で、アウトプットをしないといけない。誰かの見たものや誰かの分析を自分の体験のように思う危うさがある。他人の観察を観察しても意味がない」というような事が書いてある。確かにそうだと思う。YouTubeを聞いているだけでインプットした気になるし、疑似体験を実体験のように誤認するのは危険だ。
新築住宅の案件の敷地図を曹次が急ぎで書いてくれたので、急いでくれた時間を無駄にしないように空き時間で平面プランを作図する。書いたらPCで清書せずにすぐに施主に送る。土地を購入するか否かを検討するために、その土地にどんな家が建てられるのかを見せる。良いプランが出来なければ、土地が悪いか私の設計力が弱いかのどちらかか、両方か、という事になる。
カロリー軒のサキちゃんが、ストーリーズに名前を出してくれたので、日記いつも楽しみに読んでるよとメッセージを送る。彼女が店造りをしながら書いていた日記(汚い厨房をきれいにしていく奮闘記)がとても面白くて、続けるといいよ。と言った事を思い出す。その時は自分はなんのアウトプットもして無かったのに随分偉そうに上から目線で恥ずかしい。「ら」を抜くかどうかどころの話ではない。
ってのが先日の飼い主の独り言。ワン。

