2026年6月25日 アノニマスと綯交

東京へ向かう。東京国立近代美術館へ。「杉本博司 絶滅写真」を観にいきたくて、数か月前から予定していた。前日は「bild」の扱うアノニマスな物を見て、この日は有名な作品の数々を見る。古物と現代美術の綯交な二日間。

紙媒体やネットで見ていた作品が並ぶ。額も素晴らしい。額を作ってみたくなる。建築写真のコーナーもある。「火と人の関係から建築がはじまり、石や木を積んで住まいを作るようになり、敵は獣から人に代わり、棲家は権威の象徴になり、現代では建築はペラペラになり、砂上の楼閣のようになった」という意図の文章が印象的。私も人と火の関係を用いて照明の在り方について話をする機会が多く、共感。

2周して、見終える。観に行って良かったと思ったが、作品の評価や評論はできない。正直アートは分からない。自分の手に届く値段なら家に飾りたいくらい素敵だったが、価格を聞くまでもなく無理だろう。写真の撮影が許可されていたので、携帯に何枚か納めたが、手に入れた気はしない。写真集を買うのも辞めた。

海景の写真が並ぶ空間にベンチがあったので腰かけて、家や店に額装された写真や絵を飾って欲しいな、と改めて思った。その後でなんて押しつけがましいんだ。とも思う。飾りたくなるよう棲家を作ればいいか。と考えたり、自分も何かを作って額装してみたいな、と刺激を受けたり。でもきっとそんな時間ないな。と現実を見て、そういえば「時間が無いからできない」のではなくて「できない理由が欲しいから時間が無い状況を自分が作っている」みたいな事をアドラーが言っていたなと思い出したり。

折角東京まで来たので、何店舗か見学に行く。土の色で店内が仕上がっている店。暗くて居心地が良い。洞窟感がある。照明が白い壁の時よりも眩しく感じるのは気のせいか。トイレの中も高そうなタイルが貼ってある。トイレの中にコストも見た目も過剰な装飾をするのはなぜなのかといつも疑問に思う。私はそれに必要性を感じない。

物販店にも寄る。今回は古物ではなく、名のある作品や商品を仕入れて並べる店。何十万もする椅子があったり、作家の作品があったり、既製品もある。必需品の一切ない空間は贅沢だ。

駅で駅弁を買って(しまった、また二重表現だ。戒めの為に訂正しないでおく。)新幹線で食べる。移動と食事が同時にできるなんて贅沢。この日は色々な物を観た。勉強になったと思うが、すぐに使ったり役に立つわけではないし、一生役に立たないかもしれない。帰宅し、翌日の打ち合わせの為の図面や資料の作成をする。浮世の様な都会から一遍、自分にもやる事があるという現実に少し安堵する。

ってのが先日の飼い主の独り言。ワン。

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